僕の胸は君へ向かって

多趣味な糞ミーハーオタク

私が本の虫になった夏の話。

 

こんにちは。二回目のブログですよーーーーーーー。

前回のブログでKAT-TUNについて書きましたがその熱は冷めることを知らず!!!!今PHOENIXをひたすら聞く毎日です。カウコンのPHOENIXがすごくかっこよくて、たっちゃんの鬼気迫る表情がすごく胸に迫りました。たっちゃんの目にはどういう景色が映っていて、どういうことを考えながらPHOENIXを歌ったんだろう、なんて。

 

今回は私の趣味である読書について書こうと思う。

読書はアイドルを追うよりも先にハマった趣味だ。進学先も自分の読書に対する熱量だけを信じて決めた。アイドルよりも何よりも私という人格の多くを占めるものが読書だった。

 

私に読書の楽しさを教えてくれた本。

 魔法使いが落ちてきた夏/タカシトシコ

魔法使いが落ちてきた夏 (ファンタジーの冒険)

魔法使いが落ちてきた夏 (ファンタジーの冒険)

 

 小学三年生の夏だった。秋田の夏は暑い。噎せ返るような暑さの中、図書室でこの本を手に取った。

学校の取り組みで朝学習という時間が設けられていて、読書自体に抵抗はなく、自分の生活の中に読書はすんなりと介入してきていた。

といっても、読んでいたものは同年代であれば知る人が多いだろう怪談レストランシリーズや、学校の怪談シリーズであった。それは絵本に近かったと思う。

15分という朝読書の時間に簡単に読めるもの。わたしが本を選ぶ基準だった。面白さだったりするのは二の次で、朝読書がなければ本を手にすることはなかった。

それを変えたのが『魔法使いが落ちてきた夏』だ。

ざっくりとあらすじを書いていくと、少女が魔法使いと出会い敵と戦うありきたりなファンタジーだ。この手のあらすじの本は探せばいくらでも出てくるのだろう。

それでも私はこの本を飽きるほどに読んだ。貸出カードがこのタイトルで埋め尽くされるほど、繰り返し読んだ。

わりと分厚い本だった。小学三年生が読むものにしては厚すぎたのではないだろうか。

どうしてこの本を手に取ったのかすら覚えていない。この本のことを思い出して一番古い記憶はテストが早く終わって空いた時間で読んでいたら担任教師に諌められたことだ。「またそれか、よく飽きないな」と言われたことも覚えている。

『魔法使いが落ちてきた夏』が教えてくれた読書の楽しさは、文章を目で追う度に頭の中のスクリーンが彩りを増してくるくると変わっていくことだった。

きっとこの本は一つずつの描写が綺麗で、鮮やかで、緻密で、小学生の私でもするりとその世界に入り込めるような分かりやすいものだったのだろう。

飽きずに何度も何度も繰り返し読んだ本は後にも先にもこれだけだろう。

自分でも不思議に思うほど、毎回新しい気持ちで読むことができた。新しい世界に自分が溺れていく感覚。言葉の渦に落ちていく感覚。

読書は私の知らない世界を見せてくれる、読書は私の知らない世界を教えてくれる。

『魔法使いが落ちてきた夏』が私に読書の楽しさを教えてくれてからもう14年経った。

今でも私は読書が好きだ。1冊1冊読む度に新しい世界を知る。大学で近代文学を専攻にし、太宰で卒論を書くくらいには、読書の魅力に憑りつかれている。

最近は専ら卒論関係の太宰の文献しか読んでいないのだけれど、それ以外で最近読んだ本は『人喰いの家』というミステリー大賞を受賞した作品だ。

私はサスペンスやミステリーのものが好きで、『人喰いの家』もページを捲るたびに心臓がバクバクと鳴るような緊張感を味わうことができた。

読み終わったあとにすっきりと爽快感を味わえるものも、後味が悪く吐き気を催すほどのものも、どちらも好きだ。結局どちらもが私に新しい世界を与えてくれることに違いはない。

電子書籍よりも紙媒体のものが良いという話がある。

紙媒体のほうが”本らしい”からそう言われるのではないだろうか。

温かみや昔ながらや古き良きや、そういったとってつけたような理由がなければ紙媒体が推される理由がないと思う。

紙は劣化する。電子書籍は劣化しない。電子書籍は現代のニーズにもあっている。紙媒体が淘汰されていくのも仕方がないと思う。

けれど私は『魔法使いが落ちてきた夏』の匂いが忘れられない。

何年もあの図書室にいた本特有の匂い。たくさんの人にその人それぞれの世界を見せてきた匂い。

匂いだけは電子書籍に負けない紙の魅力だろう。

一つの本が私に新しい世界を見せ、そして私の進路を決めた。私にとっての本はアイドルよりも自分の中に根付くものだ。

 

 

 

 

 

 

みたいな、口語調でないのは今から卒論を書くための練習でした。

今から徹夜で卒論を書きます。頑張ろう。PHOENIX